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市川市の観光名所

【常夜燈】

常夜燈は、寛永9年(1632年)に江戸幕府は下総の行徳河岸から日本橋小網町に至る渡船を許可し、その航路の独占権を得た本行徳村はここに新河岸を設置しました。現在残る常夜燈は、この航路の安全を祈願すのために、江戸日本橋の西河岸と蔵屋敷の講中が成田山に奉納したのものです。高さ4.31mの石造りです。文化9年(1812年)に建てられましたが、昭和45年(1970年)に旧江戸川堤防拡張工事のため、位置が多少移動されました。この航路に就航した船は「行徳船」と呼ばれ、毎日明け六ツ(午前6時)から暮れ六ツ(午後6時)まで
場  所:市川市本行徳34地先市指定有文
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【真間の継ぎ橋】

真間の継ぎ橋は、万葉の時代、この地域にたくさんの州があり、その州から州へのかけ橋が継橋だったと考えられています。真間万葉顕彰碑建立の縁となる読み人知らずの歌詞の一部に「真間の継橋やまず通わむ」と詠われています
場  所:市川市真間4-7地先
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【真間万葉顕彰碑】

真間万葉顕彰碑は、万葉集には真間の手児奈の伝説を詠んだ山部赤人や高橋虫麻呂の歌をはじめ真間の地を歌った10首ほどの歌が載せられています。その歌の中に「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処」(山部赤人)、「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」(高橋虫麻呂)、「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」(読み人知らず)の3首があります。それぞれの歌のゆかりの場所に立てられいるのが3つの真間万葉顕彰碑です。手児奈霊堂、亀井院(真間の井)、真間の継橋の所在を示す
場  所:市川市真間4-7-24 継橋際他市指定文
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【庚申五層塔】

庚申五層塔は、中国の道教から入ってきた庚申信仰は、庚申待ちの風習が日本に伝わったのは平安時代ですが、一般庶民にまで広がったのは室町時代末ごろで、江戸時代になって盛んになり各地に庚申塔が建てられました。人々は道端に病鬼を払うという青面金剛や、猿田彦、庚申の「さる」から転じた庚申猿を彫った石塔を立てました。これが庚申塔です。猿田彦は道案内の神であったため、道祖神ともなって道標の役目を果たし、現在も各地に多種多様 の庚申塔が残っています。
市川市柏井町3-654 市指定文・子安神社
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【文化財】

法華経寺の文化財は、立正安国論観心本尊抄附添状春日山蒔絵筥、法華堂(国指定重要文化財)、四足門(国指定重要文化財)、五重塔(国指定重要文化財)、祖師堂(国指定重要文化財)など合わせて10件もの国宝や重要文化財・市の文化財があります。日蓮宗五大本山の一つと言われる名刹の法華経寺には、黒塗の総門のそびえる参道は両側に商店が並び家並みの上に五重塔が現れ門前町の雰囲気をただよわせております。建長5年(1253年)に下総の国若宮の領主・富木胤継が日蓮に帰依し法華堂をたてたのがはじまりといわれています。

【真間の井】

真間の井は、万葉集の中で高橋虫麻呂が詠んだ「真間の井」と詠まれたのが手児奈霊堂と道を隔てた向かいにある亀井院の裏庭にあります。美しい娘・手児奈が水を汲んだと伝えられる古井戸です。「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」と詠まれました。

【堀之内貝塚(国指定史跡)】

堀之内貝塚は、貝塚文化の最盛期である縄文時代の後期前半から貝塚文化の衰退期の縄文時代の晩期にかけて形成された遺跡です。今から約4000年〜2000年前にあたります。貝層は東西に長く、長径225m、短径120mあります。北西部を屈曲部としたU字型の馬蹄形貝塚です。出土品は多数あります。なかでも土器は堀之内式と名付けられて、土器編年のうえで縄文時代の後期前半の標準土器です。また、縄文時代晩期の出土品としては土偶破片、貝製腕輪など非実用的で呪術的な品々があります。
所:市川市堀之内2-15
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【曽谷貝塚(国指定史跡)】

曽谷貝塚は、東西210m、南北240m、という大きな規模をもつ単独の馬蹄形の貝塚としては日本一の広さがあります。緩やかに傾斜する台地上にあたり、現在は住宅と畑が広がっています。窪んだ中央部の周辺に貝塚は形成され、竪穴住居も窪地周辺の土手上の高まりから外側にかけて設けられた跡が見つかり、集落としての大きな広がりが想像できます。貝塚が形成されたのは約4,000年〜3,000年前の縄文時代の後期です。多くの研究者により明治以後に何度も発掘調査が行われています。緩やかに傾斜する台地上にあります。
場  所:市川市曽谷2-500-1
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【須和田遺跡】

須和田遺跡は、真間山の台地から東に延びる長さ600mほどの須和田台地のほぼ中央にあります。縄文時代前期の小貝塚がわずかにみられます。ほかに弥生時代中期から平安時代に至る各期複合の集落遺跡です。とくに古墳時代の後期以降が大きく、住居址も多く発見されています。南関東地方に弥生文化が伝えられたのはB.C.100年ごろといわれています。その南関東地方で最初に出現した弥生式土器が須和田台地から出土して、須和田式土器という型式名で呼ばれるようになりました。つまり、弥生文化をいちはやく受け入れた遺跡です。

【姥山貝塚(国指定史跡)】

姥山貝塚は、縄文時代の中期〜後期(今から約5,000〜3,000年前)に形成された東西130m、南北120mの馬蹄形(C字形)貝塚で堀之内貝塚と同様、ハマグリを主体としてアサリ、シオフキなど30種以上の貝塚が知られています。貝塚の調査は明治26年(1893年)以降何度も行われていますが、とくに重要なのは大正15年(1926年)に東京人類学会が行った発掘遠足会です。この調査で人骨や遺物とともに炉址と竪穴住居址が発見されていますが、竪穴住居址の全容が平面的にとらえられたのはわが国初めてのことです。
場  所:市川市柏井町1-1212
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【下総国分尼寺跡】

下総国分尼寺跡は、国分寺(国分僧寺跡)の北西500mにあり、現在は公園として保存されています。国分尼寺は国分僧寺と同じように聖武天皇が天平13年(741年)に発せられた「国分寺建立の詔」により、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立されたものですが、建立の実年代は現在のところはつきりしません。この地はかって「昔堂」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていましたが、昭和8年(1933年)に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡と分かりました。
場  所:市川市国分4-19 国指定史跡
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【明戸古墳石棺】

明戸古墳石棺は、古戦場跡と知られる里見公園北西部の小高くなった上に2つの石棺が並んで置かれているのが見られます。この2つの石棺は文明11年(1479年)、太田道灌が千葉自胤を援助して臼井の千葉孝胤を攻めたとき、陣を築こうとして盛土を取り除いた際に露出して発見されたと伝えられています。2基とも蓋石はありませんが数枚の緑泥片岩を組み合わせた箱式石棺です。古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀初頭)に、この地方に勢力を振るっていた豪族の墓であろうと推定されます。
場  所:市川市国府台3-9 里見公園内
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【弘法寺】

弘法寺は、小高い丘を上がったところに建っています。天平9年(737年)に行基菩薩が建立しました。約100年後の弘法大師によって「求法寺」から「弘法寺」に改められたといわれています。鎌倉時代以降に日蓮宗の寺となりました。明治21年(1888年)の火災により焼失しました。現在の諸堂は明治23年(1890年)に改修されたものです。境内の参道には、約3,000本の桜があります。シーズンには花見客の目を楽しませてくれます。また、祖師堂横のしだれ桜は、「伏姫桜」と呼ばれる樹齢400年の大樹です。
場  所:市川市真間4-9-1
連絡先:弘法寺 047-371-2242

【法華経寺】

法華経寺は、通称中山法華経寺といわれ、黒塗の総門のそびえる参道には両側に商店が並び門前町の雰囲気をただよわせています。日蓮聖人が最初に開いた寺の池上本門寺(東京都大田区)とともに関東の日蓮宗大本山として知られている名刹です。建長5年(1253年)に、下総の国若宮の領主富木胤継が日蓮に帰依し法華堂(屋敷)を建てました。寺は鎌倉時代の文応元年(1260年)に創立されました。のち富木胤継は出家し日常となり、この法華堂と中山の豪族太田乗明の開いた本妙寺を本妙法華寺と合称して、元徳3年(1331年)に両寺が合併された。
場  所:市川市中山2-10-1
連絡先:法華経寺 047-334-3433

【葛飾八幡宮】

葛飾八幡宮は、寛平年間(887年〜898年)に宇多天皇の勅願により建立されました。古来より武神として知られ、源頼朝、太田道灌、徳川家康など、その時々の力のある武人から崇敬されてきた由緒ある社です。文教の祖神、殖産興業、殊に農業守護の神として近郷近在の人々から守り神として親しまれています。境内にそびえるイチョウの巨木は樹齢1200年以上で高さ22mで国の天然記念物に指定されています。毎年9月15日の例祭日から20日までの6日間に、広大な境内で催される農具市の盛況さは古来より関東一と称されています。指定文化財。
所:市川市八幡4-2-1
連絡先:葛飾八幡宮 047-332-4488

【国分寺】

国分寺は、奈良時代に諸国に建立された宮寺で僧寺と尼寺の2つがありました。聖武天皇は天平13年(741年)に護国経の功徳により政治・社会の不安を取り除こうと祈念して「国分寺建立の詔」を発したことから建立されました。国分寺の造営事業は七重塔一区を建て、天皇自筆の金字の金光明最王経一部を安置し、それを護持させることを主たる内容としました。政府は毎年出挙利稲2万株を国分寺造営料に提供し、一般の寄進を奨励して建設を促進しましたが工事ははかどりませんでした。
場  所:市川市国分3-20-1
連絡先:国分寺 047-371-7221

【手児奈霊堂】

手児奈霊堂は、その昔、真間の里(現在の市川市真間周辺)に手児奈という美しい娘がいました。男たちが手児奈をめぐって争いを繰り広げ、心優しい手児奈は自分のために争い傷つくのを厭って真間の入り江に身を投げました。美しい娘・手児奈を祀っているのが手児奈霊堂です。そのお墓の傍らに文亀元年(1501年)に日与上人が、手児奈の霊を感じて、奥津城処(墓)の跡と伝えられる辺りにお堂を建てました。これが現在の手児奈霊堂です。霊堂には、昔の入り江の面影を残す池が水をたたえています。
場  所:市川市真間4-5-21
連絡先:弘法寺 047-371-2953

【浄光寺】

手児奈霊堂は、その昔、真間の里(現在の市川市真間周辺)に手児奈という美しい娘がいました。男たちが手児奈をめぐって争いを繰り広げ、心優しい手児奈は自分のために争い傷つくのを厭って真間の入り江に身を投げました。美しい娘・手児奈を祀っているのが手児奈霊堂です。そのお墓の傍らに文亀元年(1501年)に日与上人が、手児奈の霊を感じて、奥津城処(墓)の跡と伝えられる辺りにお堂を建てました。これが現在の手児奈霊堂です。霊堂には、昔の入り江の面影を残す池が水をたたえています。
場  所:市川市大野町3-1917
連絡先:浄光寺 047-337-8301

【駒形大神社】

駒形大神社には、祭神として経津主命を祀っています。毎年地区の氏子による年番制で、1月20日に五穀豊穣と村内安全を祈願する「にらめっこ御奉謝」が行われています。
場  所:市川市大野町4-2758
連絡先:市川市生涯学習振興課 047-334-1658

【唱行寺】

唱行寺は、日蓮聖人に帰依した日唱が開いたといわれています。題目唱行に太鼓を用いたため、太鼓の霊場として知られています。本尊は日蓮坐像で市の文化財に指定されています。
場  所:市川市柏井町1-1696
連絡先:唱行寺 047-339-1445


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